『天皇の肖像』における錦絵から御真影への変遷と描写の関係

ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』で告発したようにモデルとコピーの関係には、技術のもつ政治的な力が貫いている。確かに彼の言う通り映画『オリンピア』(一九三八)にみる巨大で政治的な儀礼空間は、映画という技術とリーフェンシュタールの技巧によって創出されている。私たちがそこにみるのは人間の貧弱な身体ではなく、ギリシア彫刻のような筋肉美、全体運動の均整美、すなわち個人ではなく、アウラのまとった共同体である。ファスシトが利用したような、そうした価値形成が近代国家というシステムには欠かせない。近代国家には政治的中心と、「国民」という共同体意識が不可欠であり、西洋ではそうした歩みが生産体制の変化や遠近法や宗教などの文化と共に、歴史的に起こったのに比べ、日本はそうした地盤がないままに、急速に近代国家の仲間入りをする必要があった。そうした急速な流れによる、天皇という存在形式の変化が「錦絵」から「御真影」という天皇に対する描写の変遷を辿ることによって明らかにすることができるのである。以下の「錦絵」と「御真影」に対する歴史的事実と、視線の政治性への考察は、ほとんどが多木浩二著『天皇の肖像』を参照している。それを要約する形で利用しつつ言語的な描写との関係を絡めて再考してみたい。

 

初期の明治政府は錦絵に天皇が描かれること自体は規制してはいなかった。それは錦絵に恣意的な価値批判能力が備わっていなかったからだ。価値批判とは、対象の同一的価値を破壊することだが、そこにはまず事物を対象化して価値を共有するという視点が必要である。西洋の諷刺的文化には明らかに価値批判があったのだが、日本にはまだそうした遠近法的な視点があまりなかったゆえに、例え戯作的な画風でも錦絵には諷刺のような批判能力がなかったのである。それは錦絵では現実性よりも物語性に重きがおかれることでも理解できるだろう。そうした慣習のもと、錦絵での天皇という特別な記号は、物語のキャラクターとしてスター化されることになった。スター化という明るさから政府もしばらく見過ごしてきた訳だが、そうしたキャラクターは、次の主題によって過ぎ去る危険性があった。その危険性に気が付いた明治政府は、物語という「外」に公使されるキャラクターではなく、現実に力を行使する、揺るがない同一性をもった天皇像を目指した。そこで天皇は神話的偏在性と、国の代表としての現実的同一性を持つという二重性を背負わなければならなかった。現実の存在でありながら、人間とは一線を画した神でもなければならなかったのだ。キリスト教的な地盤を持つ地域では、受肉として神性を体内化する感性が育っていた訳だが、そうした伝統のない日本において神性と現実性をうまく癒合させることは一筋縄ではいかなかった。そうした必要に駆られ、『オリンピア』のように現実的でありつつ、魔術的なアウラに包まれた、天皇の肖像として「御真影」はつくられることとなる。

 

ここで再び天皇という存在が近代国家を形成するにあたり、なぜ中心として必要であったのかを、視線の問題から考えてみたい。まず国民という精神を創出するにあたり、人々は同じ視点を持たなければならなかった。その為に天皇は人々の視線の中心として機能し、かつ監視塔のように「見ている」存在としても機能する必要があった。なぜなら、例え集団で一つの対象を見ていたとしても、それだけでは自分たちを対象化して共同体と同定することができないからだ。対象化されるためには自分達を照らす客観的な視線が必要であり、その視線をおくる存在は、揺るがない基準として国民の中心でなければならない。その中心は特権的であるために明瞭に可視化されてはならない。もし中心にいる天皇が明瞭に可視化されたならば、それは一人の人間となってしまい、全てを見渡すような偏在的機能が失われる。そうした中心は遠近法でいう虚焦点として、私たちの基準になるが、そうした基準それ自体は基準からは例外である、という転倒によって形成されるのだ。そうした視点の統一は「言文一致」と対応する。言語という基準が統一されることによって、私たちは価値を共有できる国民であるという意識を持つことになる。ここで天皇という例外に対して必然的に現れてくる言語的問題がある。それは天皇を言語において描写する時に、どこまで描いてよいのか、すなわちどこまで可視化するのかという問題でもある。石を描写する時には様々な角度からの観察が可能で、様々な換言が可能だ。しかし、明瞭な視線を禁止した天皇にとってその方法は非常に危険である。たとえ実際に見られていなくても、それが称える内容だとしても、天皇へ多角的な視線を送ること自体に同一性を解体する力があるからだ。したがって言語的に天皇を描写する時も、個人による視線ではなく、固定された視線として定型文において描写しなくてはならなかった。

 

なぜ天皇の言語描写において定型文以外が、いかなる内容でも同一性を解体することがあるのか。そうした問題を天皇の肖像写真として流布したはずの「御真影」が、実は「絵」であったという事実から紐解きたい。肖像写真が絵であったということは、写真に両義的な力があることを証示している。写真は絵より演出的操作の少ない客観的な描写である。それが証拠性となり、少しの演出により心霊写真のように無いものに存在性を付与することができる。「御真影」とは、写真のそうした魔術的な側面により天皇の神性を顕在化することに目的があった。しかし写真技術の未熟な日本では、写真の正確な描写により身体の生々しさが先に写されてしまったのだ。曖昧性のない正確な描写においては「神々しい」とか「雄々しい」とかいう付加価値以前の物体性が前面に押し出され、そこでの天皇は私たちと同様にただの光学的な反射になってしまう。それは言語描写においても同様だ。それを説明するためには、まず描写が指示対象に従属しているというドクサを解消する必要がある。

例えば私たちが「今日の天気は大雪である」という簡単な命題を描写する時にも、真偽の審廷は現実に天気が大雪であるかどうかであり、描写は指示対象に従属していると錯覚してしまう。しかし、この関係性は意味の条件を不問にしている。なぜなら今日という意味は既に共通であるという命題なき信仰が、その関係を可能にしているからだ。その審廷では「四角い三角は丸い」という命題の存在を許容することができない。こうしたナンセンスは別の角度から見てみると意味の条件へと遡行する契機である。私たちは「四角い三角」を指示対象に従属されずに思考することで、三角とは何か、という問いを発生させる。そうした問いは固定された価値に亀裂をあたえる。こうして意味の条件へと遡ることによって描写と指示対象の立場は逆転する。条件を問い続けること、すなわち、対象をあらゆる角度で、何度も、正確に描写することで、意味の意味それ自体は無限に動き続けることになる。そうした描写という意味の生殖的な生産によって、意味の持つ価値も一つに留まることなく運動する。したがって描写の前ではいかなる存在も同一的な価値を保持することはできない。しかし、一切の描写を禁じてしまえば、それは誰の目にも止まらず、無価値に留まることになる。だからこそ天皇の描写にはできるだけ次の意味を生産しないような「天皇は荘厳である」といったような定型文だけが許可されるのだ。言語においても天皇の存在は、御真影のような曖昧な描写に包まれていたのだ。

 

最後にこうした歴史を踏まえて、警戒しなければならないことがある。それは天皇を信奉するものの最後の砦である無価値の価値についてである。彼らは、あらゆる意味が「事後的」であることを告発し、どこまでも意味が後退するように、そこにあるのは無限の運動という圧倒的な無意味であることを発見する。そこまではいいが問題なのは彼らが一度の告発で満足してしまったということだ。すなわち運動を捉える時に、事後性という現在からの不可能性を根拠にすえることで、私たちに運動は正確には描写できない、という最後の意味を与えたのだ。彼らは事後性という地点から運動を捉えたのだが、その運動は偽の運動である。なぜなら運動とは条件を問うことであったにも関わらず、彼らは不可能性を根拠にして、もはや条件を問うことをやめたからだ。真の運動とは「無意味の意味」という仮定的根拠ではなく、「無意味とは」という齟齬をきたし続ける問いの形式であり、それは未来にのみ関わるものだ。描写という意味を生産する形式は、歩みを止めた彼らが無意味の意味を表明する時でさえも、それは真の無意味ではなく、あなたが意味したいものの価値であることを告発し、事後性という根拠すらも、次の意味のための条件に過ぎないといって脱根拠化してしまうのだ。したがって意味という差異化の運動の先には、停止ではなく根拠なき戯れ、すなわち差異の対自という自らへ向かう反復しかない。なるほど、描写とは来るべき意味のための形式である。それは、同一的な価値を解体せよ、そして自らの価値形成と条件も捨てされ、と命令する暴力的な形式である。その形式は指示対象に従属せず、逆に指示対象を異化させ、指示対象の不在に惹かれることもない。それは形式的ゆえに中身をもたず、そのうえ中身を充足させようとする意志に対して攻撃的な力でもあるからだ。こうした描写によって私たちは、最後の砦をその都度に破壊することができるのだ。

 

参考文献

多木浩二天皇の肖像』岩波書店、一九八八年

多木浩二ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波現代文庫、二〇〇〇年

Gドゥルーズ『差異と反復』(上)(下)財津理訳、河出書房新社、二〇〇七年

 

 

天皇の肖像 (岩波現代文庫)

天皇の肖像 (岩波現代文庫)